「忘れられた地図と夢の町」
春の陽射しが柔らかく降り注ぐある日、山田はいつもの散歩道を歩いていた。少し疲れた足を休めようと、彼はいつも通る公園のベンチに腰を下ろした。公園の池には桜の花びらが舞い落ち、穏やかな風が心地良い。
その日、道を歩いていた時、目に留まったのは一つの古ぼけた地図だった。公園の掲示板の傍にあるゴミ箱の中に、無造作に投げ込まれていたのだ。興味を惹かれ、山田はそっとその地図を拾い上げた。案内されているのは、見たこともない町だった。
地図には「志ら川町」とだけ記されていたが、どこにもその場所を示す標識はなかった。さらになんとも不思議なことに、この町の周辺には道路の標示すら存在しなかった。まるで、時の流れから忘れ去られた場所のようだった。
不審に思いながらも、山田はその地図を手に持ちながら、好奇心に駆られて歩き出した。長い散歩道を外れ、地図の指示に従っていくつかの曲がり角を曲がると、彼はどこか特別な風景が広がっているのを感じた。
静寂が辺りを包み込んでいた。その道はどこまでも続いており、山田の心も次第に高揚していく。地図に記された小道を進み続けると、やがて不思議な光景が眼前に現れた。
そこには小さな家々が立ち並び、色とりどりの花が咲き乱れる美しい町の景色が広がっていた。しかし、住人の姿は見当たらなかった。まるで誰も住んでいないかのよう。ただ静寂が包み込み、山田の心に緊張感をもたらした。
彼はふと、壁に掲げられた古い看板に目をやった。「志ら川町、ここは夢の世界」とだけ書かれている。冷や汗が背筋を走り、後退りしようとした瞬間、彼の目の前に一台のバスが現れた。古びたバスで、どこか懐かしさを湛えているが、なぜかとても大きな黒い影がその周りを覆っていた。
「あっ、消えたバスだ」と彼は思わず叫んだ。バスは透明なように見え、まるで足元から浮いているようだった。恐れをなして後ずさる山田。その時、バスのドアが静かに開き、誰かが降りてくるのかと思ったが、何も見えない。
不安が高まり、急いでその場所から逃げようとした。しかし、足がすくんで動けない。彼は何かに導かれるように、再びそのバスの中をじっと見つめた。何かの気配が山田を引き寄せているように感じたのだ。
「乗ってみるか?」と声が聞こえた気がした。驚いて振り返るも、誰もいない。再びバスのドアを見つめると、今度は少しだけ内側に光るものが見えた。勇気を振り絞り、彼はバスに一歩踏み出してみた。
バスの中は妙に広々としていて、窓からは景色が流れ去る様子が見えた。だが、外の風景は不気味なほどに変わっていた。新緑が色鮮やかに描かれた田舎道を走っていたが、どこか見知ったような景色も混じっている。まるで夢の中にいるかのようだった。
彼がどうしてこのバスに乗り、どこに向かおうとしているのか、まったく分からなかった。何度も過去の思い出や日常が頭をよぎる。心の奥底から逃れたい気持ちがこみ上げてくるが、同時にこの不思議な旅を続けたくもあった。
バスはやがて一つの大きな交差点に差しかかり、その先には「志ら川町」の看板が再び現れた。しかし、その看板は今までのものとは全く異なり、鮮やかに光っていた。
「ここが、本当の志ら川町なのか?」山田は思わずつぶやいた。バスはゆっくりと停まり、扉が開く。町の住人たちが彼を見つめる。温かく歓迎されるはずの彼は、やがてこの町がずっと自分を待っていたのではないかという気持ちになった。
ほのぼのとした空気に包まれ、あの消えたバスがどのようにして存在しているのか、ますます不思議で仕方がなかった。結局、彼はその町を探ることにした。未知なる地図に導かれ、彼の心はかつてないほどの期待で満たされていた。
新しい冒険が始まろうとしていた。散歩道で拾った古い地図とともに、志ら川町での時間が、山田の人生を大きく変えることになるとは、この時、まだ誰も知らなかった。